相原正明写真夜話

日常の冒険 日常の宇宙

<はじめに>
今回からB&W企画様のホームページで写真についての夜話を書かせていただくことになりました。皆さんご存じのようにコロナ禍で撮影教室等がままならないので、教室で撮影の間に雑談で話す内容を、じっくり伝えたいと思います。かなり主観的なことを書く予定です。

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ともかく不要不急な外出ができない状況。プロやアマチュアでも。不要不急でないから撮影に行く人もいる。理由はどうであれ、感染したらそれでお終い。という訳で僕も家で撮影(Ouchi de Shashin) あるいは徒歩でいけるところで撮影(フォクササイズ Photo+エクササイズ)。Stay Home、多くの人が写真を撮りに行けない。どうしよう?どうするんだ?とプロアマ問わず特にネイチャー系の人が大騒ぎ。僕には騒ぐ理由がわからない。なぜなら外がだめならば、お家の中だけ、近所だけでよいのではともう。外に行かないと写真が撮れない、遠くに行かないと写真が撮れない。ネイチャーが撮れないと自分の作品ではない。

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僕にはその考えの方が不思議だ。写真とは世の中の森羅万象すべてを、光と影と時間の組み合わせで表現するアートだと思っている。この世の中に光と影なしに存在できるのは幽霊以外いないはず。だったら家の中の物でも、自宅の窓からでも写真は撮れる。目の前にあるものの光と影を心の中でどう感じるかが大切。正岡子規は、寝転んで見える小さな庭を見て俳句を作り、利休は茶室というわずか四畳半の空間に宇宙を感じさせた。ならば家全体、窓から見える風景でもあれば自身の作品表現には充分すぎると思う。それが撮れないのならば、被写体の力、被写体の珍しさに頼っていたことになる。それは作品とは呼べない。

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家でStay Homeを決めたのは3月末。ある日Stay Homeに備え料理の作り置きをしようと、冷蔵庫の中を物色。カレーを作るために買ったジャガイモが1つ、冷蔵庫の粋で忘れ去られ、見つけた。かなり芽が吹いて使えない状態。「あちゃ~」と思いつつよくよく眺めると、探査衛星ハヤブサが降り立つような、小惑星みたいに僕は見えた。ならばこれをマクロで宇宙を感じるように撮ってみようと思い、黒バックと簡単な照明をセット。撮りだしたらなぜか撮影戦闘モードのスィッチが入り撮影が止まらなくなり、家内も参加して撮り比べ。そのあと、別のジャガイモ、タマネギ、さらに酒瓶 香水瓶とエスカレート気がついたら5時間近く撮影。気分爽快。翌日はバイクのピストン、クラッシックカメラとか撮影した。我が家の中に無限の撮影空間を感じた。デジタルカメラになり、その場で絵が確認できる。

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だからライティングや設定も楽しんでできる。この場合ストロボより定常光の方が撮影はとってもらくだ。テーブルライト1つでも撮れる。さらに白地と黒字の布が1枚づつあればより楽しめる。家で毎日写真を撮ることで、撮影勘を鈍らせない。普段と異なる環境なので好奇心が刺激され意外なものが撮れて楽しくなる。音楽家が毎日ピアノやバイオリンを弾くのと同じだ。やる人とやらない人、自粛 行動制限解除になった際の 心の差、スキルの差はとても大きい。大切なことは、こころの刀は常に研いでおくこと。研いでいないと、いざ光という獲物が現れたときに、刀が抜けなくなる。ぜひ皆さんも身近なもので楽しんでほしい。

2020/06/16

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